説明できない体験のあと、人は何に苦しむのか
- kumasannote

- 7月2日
- 読了時間: 4分

私は過去に、ある出来事をきっかけに鏡を見ることが怖くなった時期があります。
体験そのものを信じるかどうかは人それぞれです。
この記事で伝えたいのは、体験の真偽ではなく、
「説明できない出来事を経験したあと、人はどう影響を受けるのか」
ということです。
きっかけは一つの名前でした
当時の私は、自分の感覚をうまく扱えずにいました。
周囲には理解されにくい感覚があり、自分自身も戸惑いながら過ごしていました。
そんな中で出会ったのが、一人目の師匠です。
私はその方のもとで学びながら、自分の感覚との向き合い方を少しずつ身につけていきました。
ある日、仕事上の理由から本名以外の名前を使いたいと考え、師匠に相談しました。
師匠は姓名鑑定にも長けており、いくつか候補を出してくれました。
その中から相性の良い名前を選び、私は仕事用の名前として使い始めました。
新しい自分が生まれたような感覚があり、実際に仕事面でも良い変化を感じていました。
ある出来事を境に変わった
そんなある日のことです。
私は風呂場で一人、ぼんやりと過ごしていました。
子どもが習字を練習していた影響で、曇った鏡に文字を書くことが日常になっていました。
気づくと私は、無意識のうちに仕事用の名前を何度も鏡に書いていました。
意識が戻った時には、曇った鏡いっぱいに名前が重なっていました。
その異様な感覚に強い違和感を覚え、私は師匠へ連絡しました。
その後の出来事については、体験談として語ることはできますが、読む人によって受け取り方も異なると思います。
ただ、その夜を境に私の中で大きな変化が起きました。
本当に苦しかったのはその後だった
私が苦しかったのは、
「何を見たのか」
ではありません。
「なぜそんなことが起きたのか分からない」
という状態でした。
それ以降、
鏡を見るのが怖い
写真に映るのが怖い
ガラスへの映り込みが気になる
一人になると体験を思い出す
そんな状態が続きました。
今振り返ると、体験そのものよりも、その後の不安や混乱の方が大きかったように思います。
人は理解できない出来事に弱い
人は、自分の理解を超えた出来事に出会うと不安になります。
それが事故や病気であっても、
人間関係であっても、
あるいは説明しづらい不思議な体験であっても同じです。
理由が分からない。
整理ができない。
誰にも話せない。
その状態が続くことで、心は少しずつ疲れていきます。
必要なのは否定でも肯定でもない
こうした話をすると、
「気のせいじゃない?」
と言われることがあります。
反対に、
過剰に意味づけをされることもあります。
けれど当事者にとって必要なのは、そのどちらでもありません。
まず必要なのは、
自分が何を感じたのか。
何が怖かったのか。
なぜ今も気になっているのか。
それを整理することです。
分からないことを、無理に分かったことにする必要はありません。
答えを急がず、自分の感覚を丁寧に見つめることも大切だと思っています。
一人で抱え続けなくてもいい
説明できない体験をすると、
「話したら変な人だと思われるかもしれない」
という不安から、一人で抱え込んでしまう方が少なくありません。
実際、私自身も長い間そうでした。
だからこそ私は、体験の正しさや間違いを判断するのではなく、
その人が何を感じ、何に苦しみ、何に戸惑っているのかを一緒に整理する時間を大切にしています。
私が行っている魂読も、
未来を断言したり、不安をあおったりするものではありません。
今抱えている感覚や悩みを言葉にし、
自分自身を理解するための時間として利用していただいています。
もし、
誰にも話せない体験がある
自分の感覚を整理したい
今の状態を客観的に見つめたい
理由は分からないけれど心が重い
そんな思いがある方は、一人で抱え続けずにお話しください。
言葉にすることで見えてくるものもあります。
説明できない体験を無理に説明しようとしなくて大丈夫です。
まずは安心して話せる場所があることを知っていただけたら嬉しく思います。


