愛犬との十三年の記録。ただ、生きていてくれたということ
- kumasannote

- 5月13日
- 読了時間: 7分

長文になります。ごめんなさい。
私の愛犬が亡くなりました。
13歳のフレンチブルドッグの女の子でした。
生後2歳の頃、遺伝によって両目を失明しました。
左目は完全に見えず、右目も光が少し分かるかどうか程度だと思います。
それでも空間認識能力がとても高く、匂いと記憶で家の中を把握し、盲目とは思えないほど落ち着いて生活していました。散歩道も覚えていました。
散歩では、私が優しくリードを引く方向へ嬉しそうに歩きました。
日向ぼっこが好きで、8mのリードをつけた半径8mの半円のフィールドが彼女専用の庭で、よく温かい陽の光、静かに風を感じ、イビキをかきながら過ごすのが日課でした。
若い頃の私たちは、子育てと仕事に追われていました。
夫婦共働きで余裕がなく、私は難病を発症し、生活は崩れていきました。
愛犬に向けられる愛情も、正直、薄れてしまった時期がありました。
ただ生かしているだけだった、と言われても否定できない数年間がありました。
心の余裕も、お金の余裕も、生活の余裕もありませんでした。
その後、私は働けなくなり、新居を売却して古民家へ移住しました。
収入は大きく減りましたが、その代わり、愛犬と過ごす時間が増えました。
そこからの3年間は、今までできなかったことを埋めるような時間でした。
毎日散歩へ行き、日向ぼっこをして、一緒に静かな時間を過ごしました。
私は魂との対話の中で、何度も愛犬に問いかけました。
するといつも、
「この家族に出会えてよかった」
「今、幸せだよ」
「このゆっくりした時間が好き」
そんな内容のメッセージが返ってきました。
その穏やかな暮らしが続く中、ついこの前まで5kmの散歩を普通にしていました。
異変に気づいたのは、ある夕方の散歩でした。
その日は私も体調が悪く、
「今日は短めでいいか…いいよね?」
と独り言を言い、1kmほどの短い散歩にしました。
春先の夕方でした。
田舎道に優しい風が吹いていて、沈む夕日が暖かく、いつも通りの穏やかな時間でした。
ところが、300mほど歩いた頃から、愛犬が立ち止まるようになりました。
少し引くと歩き出す。
でもまた止まる。
呼吸が速く、粘度の高いよだれが垂れていました。
老犬だからだろうか。
そう思っていました。
けれど30mごとに止まり、呼吸を整えるようになりました。
そして家まで300mほどのところで、頭がふらつき始めました。
初めてでした。
最後には腹ばいになり、完全に動けなくなりました。
私は近所の人たちに気づかれないよう、
「疲れちゃったか〜。もうお婆ちゃんだもんね」
そう普通を装いながら抱き上げて帰宅しました。
家についても呼吸は荒いままでした。
状況の変化が見られず翌朝、病院へ行きました。
診断は肺炎でした。
薬で肺炎は改善しました。
レントゲンの肺の白さも減りました。
けれど心臓に異常がありました。
エコー検査で、心臓内部に腫瘍らしき影が見つかりました。
肺なのか心臓なのか、どちらが先かは分からない。
ただ、癌である可能性が高いと言われました。
「あとどれくらいですか?」
そう聞くと、医師は静かに、
「もって3ヶ月ないくらいです」
そう答えました。
アドバイスのもと、酸素室を準備しました。
私は、できるなら苦しまずに逝かせてあげたいと思いました。
けれど妻は最後まで看取る覚悟を決めていました。
1週間ほどで肺炎が改善すると食欲は戻りました。
でも少し動くだけで、心拍は急激に上がり、呼吸は全力疾走後のようになりました。
日に日に苦しそうになっていきました。
私は神様に問いかけました。
「この子にできる治療は?」
答えはNOでした。
「大きな病院へ行くべきか?」
答えはNOでした。
「寿命は?」
答えは「ゴールデンウィーク後くらい…」
たくさんの質問をしました。
でも私は、最後の時期を伝える言葉だけは受け入れられませんでした。
ご飯も食べる。
排泄もできる。
まだ立てる。
なのに、そんな急に終わるはずがない。
そう思っていました。
けれど現実は、少しずつその言葉に近づいていきました。
動ける時間は減り、酸素室から出られなくなりました。
最後の散歩はゴールデンウィークの土曜日でした。
妻が大きな布で抱っこするように愛犬を抱え、300mだけ外へ出ました。
強い春の日差し。
穏やかな風。
いつもと変わらない景色。
でも、その散歩が最後になりました。
その3日後の夜。
私はなぜか、
「まだ迎えに来ないで」
そう思いながら、苦しそうに伏せる愛犬のそばへ行きました。
そして、私の見えないパートナーの力を借りて、この子へ今できるすべてを行いました。「宿命は変えられない…」そう言われ、「そんなことはわかっている!」とそれでもわがままを言う子供のように。
私は神様のお力を借りながら、遠隔で治療を行うことがあります。
だからこそ、どうにかして少しでも楽にしてあげたい、まだ一緒にいたい、そんな思いで必死でした。
見えない力でもいい。
どうか、もう少しだけ──。
そんな気持ちで祈るように向き合っていました。
すると、
「苦しみは短く、少し和らげることまでしかできません」
処置が終わると、愛犬は酸素室の中で静かに腹ばいになっていました。
透明なアクリル板で囲まれた小さな空間。
酸素を送り続ける機械音が絶えず響き、その音で外の声はほとんど届いていなかったと思います。
私はそんな箱の中にいる愛犬を正座をしながら、ただ祈ることしかできませんでした。
私たちの匂いも届かない。
触れることもできない。
声も、きっと聞こえていない。
それなのに愛犬は、白く濁った両目で、ずっと私だけを見つめていました。
見えているはずなんてない。
けれど、「そこにいる」ということだけは分かっているような、そんな視線でした。
私は酸素室の前で正座をしたまま、両手を床につき、深く頭を下げました。
「ありがとうございました」
涙で言葉が震えながらも、その一言だけを伝えました。
翌朝4時。
妻が異変に気づき、私を起こしました。
家族みんなで感謝を伝えている数分の間に、呼吸は止まりました。
酸素室のアクリルは曇っていました。
最後まで必死に呼吸していたことが分かるほどに。
私は、
「苦しみは短かったかな」
そう問いかけながら、朝の祝詞の時間に魂の浄化を行いました。
今も思うのは、愛犬は人とは違った姿形であっても、確かにこの家族の中に存在していたということです。
毎日同じ時間に散歩をしていると、近所の人たちが必ず声をかけてくれました。
「今日も元気だね」
「頑張って歩いてるね」
そんな何気ない言葉の中に、この子はちゃんと存在していました。
愛犬は、この世界にどんな爪痕を残したのだろう。
そう考えた時、小さな身体でも、しっかり誰かの心の中に残り続ける存在だったのだと思いました。
人間の世界でいう富や名誉や権力。
そんなものとは無関係に、ただ毎日を生きて、風を感じ、日向ぼっこをして、好きな人の隣を歩いていた。特別なんてなかったかもしれません。
その姿は、今も私の記憶の中で生き続けています。
夕日に照らされながら歩く後ろ姿。
小刻みに揺れるお尻の影。
まるで小さなアニメを見ているような愛おしい動き。
私はその姿が大好きで、何度も動画を撮っていました。
姿はなくなりました。
でも記憶の中では、今も私の少し前を歩いています。
魂になって景色が見れるようになったかな?
11年ぶりに見る私たちの顔はどう映っているのかな?
子供達の顔、赤ん坊の頃の姿しか見てなかったけど、こんなに変わったんだ!って驚いているのかな?
リードを優しく引く感覚まで、まだ残っています。
空白だった数年間。
懺悔の気持ちは今も消えません。
それでも、田舎暮らしの最後の3年間は、本当に幸せでした。
ありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
たくさん舐めてくれてありがとう。
また会おうね。
我が家では、子供たちに「笑顔で送り出すこと」を大切に伝えています。
長いようで短い、この地球での時間を終え、本来いる場所へ帰っていく。
その旅立ちは、悲しみだけではなく、感謝で包まれるものだと。
きっと今頃、この子の魂を待っていた存在たちが、
「おかえり」
と迎えてくれているのだと思います。
13年という時間は、長いようで、本当に一瞬でした。
だからこそ思います。
未来ばかりを心配しすぎないこと。
今を楽しむこと。
今を愛すること。
今ここにいる人へ感謝すること。
素直になること。
純粋であっていいこと。
それだけで、人の人生は少しずつ変わっていくのかもしれません。
愛犬は、その一生を通して、私にそれを教えてくれました。
そして私は今も思います。
「ああ、うちの子は、確かにここで生きていたんだな」
と。🌸


